さて、この度(2020年9月末に)12年と半年勤めていた企業を退職いたしました。改めて書いてみると長いなあ。実は、転職先決めずに退職をキメまして、無職になり早2ヶ月以上経過しております。ここにきて、退職エントリっぽいものでも書いてみようかなあと。超いまさら感ありますが。
そもそも何の仕事してたの
B2Bであまりオープンな雰囲気は無かったので、明かしたことはほぼ無いんですよね。今も書く気があんまりしないのでフワッと書いておくと、某大きめの企業の中の小さなセキュリティーサービスの開発してました。主にUTMの中身を開発。Linuxにて、OSSとか他社製のセキュリティコンポーネントをいい感じに統合して一つの製品に仕立てる、みたいな。個人的にはインターネットVPN関連の比重が多かったですが、ファイヤーウォール、ルータ、Webサーバとしての機能周りは少なからず触れてきたって感じですかね。 職種的には技術系で、上の層がたくさんいることもあり、マネジメントという位置には全く入ってません。ただ、必要だと思ったら教育っぽいこととか、推進役の尻を叩くとか、勝手に推進するとか、そういう動きはしていたような… まあ技術的な業務だけやってたって感じではなかったです。 恐るべきことに、その一つのサービス関連の業務だけを12年やってきました。一つのサービス、と言っても技術領域的にはかなり広く、ひとつのディストリビューション作ってる感じもあったので、知らないことは常に出てきてたのでそんなに退屈はしなかったかなと。そんな感じですかねえ。
12年を振り返る
無駄に長くなりすぎたからAppendixにします…
なんで辞めたの
色々と積もり積もった感情が沢山あり、これが動機です!ってはっきり言えるものは無いんですが、せっかくなので言語化できるものはしておこうかなと。書き出してみると「ダメな転職理由」の代表格みたいな項目しか出てこないけど… 本音だから仕方ないよね。書いてないことももちろんありますが…
ポジティブ寄り
技術的に偏ってる、違うことやりたい
そこそこ広い技術領域でやってきた気はするのですが、独自実装に傾倒しすぎなところがあったり、分野的にも偏っているなと。職場も変われば文化も変わるだろうし、違う場所で、違う文化の人たちとエンジニアリング業務してみたい気持ちはずっとありました。他の組織でやってけるか試してみたい
今の組織ではそこそこ評価して頂ける部分はありましたが、他のとこでも同じようにやれるのかと試してみたい気持ちが、外部カンファレンスとか行くようになってからどんどん強くなってはいたかなと。単純に転職してみたいじゃん
したことないしさ。どんな感じになるのか、やってみたいじゃん。無職になってみたい
この気持も大きかった。考えてみると、幼稚園に入ってから、ずーーーーっと何かしらに所属してるんですよね。もう30年以上。浪人とかも無かったですし。一個人として生活してみたいなあ、というボヤッとした気持ちですが、やってみたかった。転職活動も、仕事と平行してちょっとやってはいましたが、ゆっくりやってみたい気もしましたし。ポジティブか、これ?
ネガティブ寄り
ソフトウェア・ファーストそうな組織で働いてみたい
ソフトウェア・ファースト 読んだりして、やはりこれからのITでソフトウェアの開発力は絶対必要だと感じてました。でも、前職は未だに一機能を丸っと委託に投げたり、運用全般もほぼ委託任せのところがあったりして、うーむという気持ちはありました。自分のグループには長いこと後輩も入ってこなかったし(さらに後輩も辞めちゃったし)、上位層は開発よく分からん感じが凄くあったし、ソフトウェア開発力を強化する気が感じられませんでした。一時期は内製の重要性を推す声もあったのですが、いつの間にか元に戻ってた感があります。これを自分で変えてやるという気はちょっと無かったですね…評価制度が嫌いすぎた
ぶっちゃけ、社内の昇進試験的なものに落ちたってのは要因として大きいです(笑 よくある?グレード制なんですけど、一つ上がるために半年くらいの間、論文書いて面接練習して社内評価を受けるんですよね。これが不毛of不毛にしか感じられず… 通常業務をいくら頑張ったところで、この試験においてたまたま選ばれた、初対面の別部門の評価者に認められないと昇格できないので、普段の業務をこなす上での技術力向上は何の意味も成さないんです。この試験のせいでチケット買ってた技術カンファレンス出られなくなったりしたし(まあこれはしゃーないけど)、もうこれに時間をかけたくないっていう嫌悪感がすごく強かったです。作っても リリースされない プロダクト
作ったからにはリリースして使ってもらいたいですよね。方針変更でリリースされないされないw 納期守る気がなくなってきてました。どうせ出ないんでしょ?的な感じで… そら辞めたくもなるやん。人減らしたいのかな?と感じてしまった
細かく書かないですが、組織としてのCOVID-19の対応を見てて、人員削減したいのかなあ?と本気で思ってしまう場面がいくつかあり… これは丁度いい機会だなと思ってしまい、トドメが入った感じですかね。
なんでもっと早く辞めなかったの
やること、やれることはまだ沢山あったので…
技術的観点でも、積み残しの課題を見ても、やることは沢山あったし、学べる余地はまだ全然あったので。サービスにも愛着はあったし…ホワイト高待遇
ぶっちゃけ、ここはやはりデカイんですよね。大きい企業なので、昨今の働き方改革ゆえ残業はやりたくてもできないし、スキルレベル以上の給料だったかなとも思うし… ただ、給料下がってでも移りたいが勝ってしまいました。みんないい人やん
同僚の皆さん、本当に良い人たちなのです。でも、微妙な組織変更が短期間に繰り返されて、業務上では殺伐としてきたなあという感はありました… 仕事抜きの交流も減ってきてましたしね。
転職活動をしてみて
次の職場はありがたいことに決まり、1月から働きます。
会社って沢山あるんやなあ
マジで会社って沢山ありますよね。魅力的な会社が沢山あって大変でしたw落ちてるけどw前職の給料高かったなあ
転職エージェント使わなかったこともあるのでしょうけど、年収維持できなかったっすw まあ、給料上げるための転職じゃないのでいいかと思ってしまいました。入社してから上げてもらえるように頑張ります。やっぱり微妙な技術領域 ネットワークエンジニアのようでそうでもなく、セキュリティ知ってそうでそんなに知識があるわけでもなく、本格的なインフラ系でもなく、言語も今どきのものあんまり使えず、クラウド利用経験も微妙で、使えそうで使えない人材感がありましたね。アピールしにくい… セスペネスペ持ってたからか、転職サイトではお声がかかるものの、いざ話してみると微妙にマッチしない感。そういう意味でも、できること増やすために転職するのはいいのかなと改めて思いました。歳は歳だけどね…
セキュリティって英語いるんやな
セキュリティ系も強みにしたいので、英語は鍛えようと思いました(あたりまえ体操
無職期間を設けてみて
怠惰の罪
予想通りではあるんですけど、自由になったらTODOこなすぞ!的なものは成就しないですねwww 私の場合は、ある程度強制力というか、強い動機が無いと、ちょっと触っておしまいになりがちです… ここでヒャッハー!といろいろ作れる人間だったら、起業なりフリーランスなりが余裕でできるんだろうなと思いました… ダメ人間…平日のカンファレンス聴き放題
これは良かった。オンラインカンファレンスやセミナーには困らない昨今、探せばいくらでも出てくる。時間があるのをいいことに、少しでも興味があれば申し込むという暴挙を繰り返していたらカレンダーが割と埋まりました。見識は広がったと思います。基本はあんまり変わらなかった
これは思ってた以上に、自然な感じに無職になり下がれましたね… カンファレンスもあるし、転職活動もしてたし、国の制度とかも色々調べることになったし、引っ越しもするし、ゲームもしたいし、まだまだ積読あるし、3ヶ月くらいでは全然退屈もしなかったです。下手に色々手を出して時間は不足してるくらいですね… ちょっと絞らないとと反省はしている… VRコンテンツあまりできてないのは想定外…経験としては面白かった
上に書いたことや、噂に聞くだけだったハローワークに行ってみたり、国民年金に切り替えてみたり、いい経験になったとは思います。何の成果も得られませんでした感はありますがw
これから
転職先で役たたずにならないよう頑張ります(浅い いや、ちゃんと予習します。
終わりに
なんか他所で見た退職エントリとだいぶ違う気もしますが… とりあえず、自分の記録でもあるので。あー、転職して良かったなあと思えるようになりたい。
前職の皆様には本当にお世話になり、ありがたい気持ちはすごくあるんですが、このままだとヤバいと思いますよ…という感情もかなり強く… 素直にありがとうございました!だけを言えない複雑な心境ではあります… でも、関わったサービスはマジで発展してほしいです。ワガママ言ってるだけ感w 全然まとまってないですが、とにかく、いい感じに頑張っていきたいっす。
Jobが変わってもだいじょーぶ!!と言えるように。(申し訳程度の1スベリ)
Appendix. 12年半を振り返る
振り返りをやろうと思ったからこそ、面倒になってこの記事がなかなか書けなかったところがありますw というのも、入社時から、分からんこととか、やったこととか、とにかくメモだけは取ってたんですよね。途中からほぼ全てChangeLogメモになったんですが、5年目くらいまでとりあえず常にノート持ってました。全部残ってるというw
別に大したこと書いてなくて、大体が議事録的なことで、あとは議論のためのメモとか頭整理するためのメモとかそんな感じです。これらを見返してたら時間がかかりましたw
1年目に仮想マシン使ってネットワークを理解しようとしていますね。かわいい。邪魔なので捨てるけど、せっかくなので振り返っておこうかなあというところです。ボカして書いてるから何も面白くないとは思いますが…
学生時代(一応)
2008年頃
- 集合研修3ヶ月(至極ジェネラルな内容)
- 同期と仲良くなる。EXCELとか、軽く英語とか。あとは…
- 某ケータイ連携オプション機能の開発
正直、別部署の人間として手伝う形になっていたこともあり、前提の説明とかがあまり無く苦しかったですね… Perlも読めない読めないw サービスとしても、まだ黎明期な部分があったので、今で言うオンボーディングみたいなものもほぼ無く、世話を焼いてくれる先輩が分かる範囲で教えてくれる、みたいな。そういう意味では、理解効率悪かったなあと、しみじみ思いますね… じゃあお前がそれを改善できたのかと言われると…ですが…
2009年頃
- 某文書格納オプション機能の開発
- 前回と似たような部分
- 他社部分で結構色々あって遅延しまくってた
- 某自社製品との連携機能のエンハンス
2010年頃
- 某グループウェア機能の開発
- 構想から色々検討してたので打ち合わせの方が多かった
- 技術的にはあんまり新しいことは無かったけど全社の手配系システムとかまで学ぶ必要があった
- 某自社製品との連携機能の新機能追加
- 某自社製品の理解がかなり必要だった
- 技術:文字コード、ライセンス周り
このへんで精神的に結構やられまして、円形脱毛症になってましたwww 隠し通しましたがw 結構色々任されるようになったことはいいのですが、社員が自分だけであとは派遣2人のみ、という体制で、かつレビューとか無い状況で初めて見るものをとりあえず実装してみる中で、本当にこんなコードを製品にして大丈夫なのか…的な不安でヤバくなってました。人生初の金縛りも体験しましたねw ただ、自分の実装で不具合はそこそこ出したものの、連携機能を作ってきた関連会社のコードは正常系すらまともに動作せずいきなりテストブロック、とか悲惨な状態を見て、「あ、こんなものなのか…」と思い安心して回復した記憶があります(それはそれでアカン
2011年頃
だいぶ忙しくなってきました。コア寄りの機能に関わるようになり、仕様をすり合わせるための時間もかなり増えました。過去リリースしてきた機能の不具合対応や、ズルズル続いているプロジェクトの打ち合わせ、変な委員の業務なども不定期に入ってくるようになり、開発する時間が取れないようになってきたようです。残業も基本月60h以上はほぼダメなんですが、わりと超過申請してたみたいですね… なんとか改善するために、一日何やってたか記録して分析したりしてましたね。
涙ぐましい(T_T)
2012年頃
- 某クライアントVPN機能の機能追加・エンハンス引き続き
- 既存機能を壊さずいかにエンハンスするかで苦労
- 絶対的アーキテクトに許可を頂くのに超苦労
- 技術:IPsec
- 某ホスティングサービスのエンハンス
- かなり大きめのトラブル対応
- 大きい企業様の出張現地調査など
2013年頃
- 某新規サービスの開発
- 従来の延長ではあるが新しいアーキテクチャへの刷新を広範囲で実施
- 某ホスティングサービスの移転対応など
- 長期的なトラブル対応
- 結果的にWindowsの不具合との兼ね合いだが半年くらいかけて解決した問題に粘り強く対応…
このあたりから色々やっててよく分からなくなってきてます… とにかく、お客様先で発生する不具合の調査・対応件数が増えまくります… 愚直にひとつひとつやってました。このあたりは未だにどう工夫すれば良かったのかは分かりませんね… シンプルにリソースが足りてなかったんじゃないかなあ… 既存のコードを理解する方の仕事が多く、言語的には、C、Perl、bash、ときどきJava、極稀にPythonみたいな感じですね。
2014年頃
- 某新サービスのエンハンス
- 某不正通信対策のエンハンス
- さらなる新規サービスの検討
- サービス史上最大の不具合への対応
- 関係者の皆様申し訳ございませんでした…
- 技術:自動テスト、コンテナ周辺技術、メール関連プロトコル
この年は本当に色々… 最大の不具合を発生させてしまい、品質の重要性というものを再認識せざるを得ないことに… 発生後はしばらくこの対応しかできませんでしたし… とはいえ、再発防止とか色々悶着しましたが、なかなか難しい話でしたね。どうすれば防げたかはかなり厳しかった… 詳細I/Fが定義されてないスパゲティコードを別の担当者が保守するのは相当厳しい…
そして、ここに来て初めて外部の技術カンファレンス(YAPC)に行って、井の中の蛙感を味わったのを覚えてますね… このあたりから、Twitterで技術者フォローしたり、勉強会があったら行ったり、ポッドキャスト聴いたりと、世界が拡がり初めたかと思います。逆に言うと、ここまでは割と内部固有の技術を理解する方がほとんどで、OSSとかもあまり意識せずやってたなあというところで… もう少し早く気付けると良かったのかなあと思いますね。
2015年頃
- 昇格試験が不毛すぎて憤る
- 腰痛で救急車呼ぶ…
- 業務委託管理増える
- 各種機能刷新など
- 自動テストの拡充
- 技術:SMB(samba)
- 新サービスに移行してもらうツールの開発
- 実装方法などで揉めて手戻ったり…
- 技術:Java
色々不満が募った年だったかなと。身体(腰)も悪くしましたし… サービスの全体に幅広く触るようになってきて、技術的には色々触ってはいるんですが、コレって感じのものが出てこないあたりが苦労の割にイマイチ… 独自テストフレームワークが構築されてそれをなんとか動かす、みたいな方針になってしまっており、そのあたりが辛みになってた気がしなくもないです… また、この年作ったものが要件を満たしてないってことで結果的に作り直しになったりしており、舵取りが間違ってたのかなあと感じます…
2016年頃
- 各種機能刷新、バージョンアップ系の設計・仕様検討・実装など
- 細かいプロジェクトに色々顔だしてる感じになってきた…
- 拠点間VPN機能の補佐
- かなり複雑な機能を理解してレビューする的な仕事…
- 各種オプション機能のターミネート
- 2008~2010年あたりに関わった不採算機能をターミネートするお仕事。悲しいけど、これって商売なのよね…
- 某新機能の技術調査
- 調べるだけ調べた後、根本的な方針から覆されてなんやねんとなった。このあたりから方針コロコロが酷くなってきた気はする…
- 委託管理業務
- 増えてくる… ほぼ非エンジニアみたいな人が来たり…
この辺からサービスの機能をかなり手広く見てた感じがします… トラブル対応の範囲もかなり広がってました。トラブルシュートする身としての主張も出てきて、アーキテクトと設計方針で揉めることも多くなってきたりしてました。
この後も書いたんですが、ちょっと生々しくなりすぎたのでカットします… まあ、こんな振り返りができるくらい、マメに作業録を残しつつ、TODO管理しながらしっかりやってきたんやで~っていう主張だけです、はい。ありがとうございました。